神・創造主は存在するのか? その2

キリスト教
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この記事は前回の続きです。
まだお読みでない方は下記へお願いします。

【関連】神・創造主は存在するのか? その1

 

この疑問に終止符を打つには

この無限の疑問の連鎖を終わらせる方法があります。

それは、

唯一被造物でない、知性を持った創造主が全ての根元に存在する

という答えです。

つまり、同じ質問を延々と繰り返していった先に、
一番最初に出発点がある」と定義してしまうということです。

「ずるいし説明になってない」と思った方もいるかもしれませんが、

このように定義でもしない限り
無限の疑問の連鎖を断ち切ることはできません。

 

信仰とは・・・

神・創造主を信じて生きるとは、

唯一被造物でない、知性を持った創造主が全ての根元に存在する

という定義を、
疑いようのない前提として、自分の人生観・世界観に置く行為です。

そしてそのことを
信仰を持って生きる」といっていいでしょう。

 

定義を採用するかしないかは自由

唯一被造物でない、知性を持った創造主が全ての根元に存在する

というこの定義を、最終的に採用するかどうかは個人の完全な自由です。

信仰を持つか持たないかは個人の完全なる自由です。

なので私自身は、
「他人に紹介することはあっても押し付けることは絶対にしない。」

という立場をとっています。

 

神秘の領域

神・創造主といったスピリチュアルな領域は
言葉や数字といった記号では記述不可能な世界です。

言葉や数字を使って指し示すことはできても、
それを完全な形で表現することはできないものと考えています。

言葉は便利な道具ですが、万能ではないのです。

では、言葉や数字といった記号以外で、
こうした分野を探求するにはどうすればいいのでしょうか?

その答えは
祈りと瞑想」です。

論理的に考えることを一旦やめ、
ただ直感的に感じることでしか辿り着けない神秘の領域があると確信しています。

哲学者ウィトゲンシュタインが言ったように、
語りえぬものに対しては沈黙しなければならない

というのがスピリチュアリティを探求する上での
大切な考え方だと思っています。

 

盲目的に信じるものではない

宗教やスピリチュアルな世界とは、
ただ盲目的に信じるものではありません。

思考の限界に挑戦し、疑問を突き詰めていく作業でもあります。

多くの学問は西洋から生まれているものだと思いますが、
西洋社会の土台はキリスト教であり、神・創造主の存在です。

なので、神・創造主を探求することは、
学問を探求する上で非常に大切な土台となるでしょう。
(信仰を持つか持たないかは別の問題です。)

 

ぜひこの機会に、
こうした哲学的、宗教的な問いを追求なさってみてください。

この記事があなたの哲学、人生観、信仰、宗教、
スピリチュアリティーの探求に役立ちましたら嬉しいです。

最後までお読み頂きありがとうございます。
感謝しています。

ライフコーチ 玉木康司

【関連】宗教を信仰することのメリット

 

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