仏教本の名著【感想】反応しない練習 あらゆる悩みが消えていく/草薙龍瞬 著

原始仏教・マインドフルネス
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あらゆる悩みや苦しみを根本的に解決できる方法が知りたいです。
仏教ならそのヒントがあると聞きましたが、実際のところどうなのでしょうか?教えてください!

今回は現役のお坊さんである草薙龍瞬さんが書かれた
反応しない練習」を読んだのでその感想と解説をします。

これまで何冊も原始仏教(宗教化される前の仏教)の本や
マインドフルネスの本を読んできましたが、
この本は本当に分かりやすく書かれており、
全ての人にオススメできる名著だと思います。

 

この本を読むことで

・心のモヤモヤがなくなる
・大変なことがあっても穏やかでいられる
・本当の意味で幸せに生きていくことができる

このようなメリットがあります。

私自身が読んで大切だと思ったポイントを解説しますの
ぜひ最後までお読みください。

 

 

目次

 

 

 

①スルースキルを身につける

もともと仏教の教えとは何かというと、
それは古代インドの賢者ブッダの思想です。

死後の世界などを前提にした教えは宗教ですが、
あくまで仏教は人間の心の仕組みを解明し、
どうすれば苦しみを減らし幸せに生きられるかをテーマにしているので
哲学や心理学、精神医学に近いものがあります。

では、 ブッダの教えとは一言で言うと何でしょうか?

本書によれば、

「心の無駄な反応を止めることで、一切の悩み・苦しみを抜ける方法」

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

とのことです。

 

本書のタイトルにもある「反応しないこと」を学ぶということです。

 

「心の反応を見る」とは、おなじみの「座禅」や、最近よく聞くマインドフルネスやヴィパッサナー瞑想のこと。面白いことに、心の反応・心の動きをよく見れば、ざわついた心は静かになります。これは、ストレス解消、気分転換にもってこいの方法です。

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

 

とあり、

自分にわき起こる思考や感情といった妄想の観察能力を高めることで、私たちは穏やかさを手に入れることができるのです。

私たちは本来穏やかで喜びがあったはずなんですね。

赤ちゃんの頃は考えすぎて悩み苦しむことはなかったはずですが、大人になればなるほど頭の中が思考(妄想)で埋めつくされ、それとともに湧き出る感情や感覚(これも妄想)に飲み込まれることでどんどんおかしくなっていくのです。

つまりは、全て妄想にとりつかれることが私たちの苦しみの根源なのです。

しかし、

私たちはただ呼吸、音、皮膚感覚などを観察するだけで、もともとあった豊かで穏やかな感覚を取り戻すことができます。

 

妄想に反応する自分として生きるのではなく、

観察する自分」として生きている時間が増えれば増えるほど、私たちは真の意味での幸せや豊かさを取り戻すことができるのです。

ではどうすれば、妄想とそうでないものを見分けることができるでしょうか?

 

本書にはこのように書かれています。

目を閉じてみます。目の前に見える暗がりに、何かを思い浮かべてください。今朝食べたものや、テレビで見た映像など、なんでも想像してみてください。
次に、目をぱっちりと開いて、前を見ます。部屋の中や外の景色を、よく見つめてみてください。そして、「ああ、これが見ているという状態(網膜が光を感知している状態、視覚)なのだと意識します。
このとき、さっきまで脳裏に浮かんでいた映像は、存在しませんね。「さっき見ていたものは、妄想である」「今見ているのは、視覚(光)である」とはっきり意識してください。

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

このように、妄想と妄想でない物の区別が明確に分かりやすく書かれています。

もっと分かりやすくすると、

「妄想」対「視覚」
「妄想」対「カラダの感覚」

ということになります。

つまり、妄想に取り付かれていない本来の状態というのは、
目の前にあるものをあるがままに見つめ、
それと同時に体の豊かな感覚を十分に味わうことです。

・呼吸をしてお腹が膨らんだりする感覚
・空気が肺に入ったり出たりする感覚
・体が地面と接している感覚
・皮膚と服が触れ合っている感覚
・周りに聞こえる音
・その場所にある匂い

これらのものをじっくりと味わっている瞬間、
私達は妄想の世界から抜けてて
今この瞬間のあるがままの現実を生きています。

これがわたし達が幸せになるために必要な能力です。

決してこの世の富や成功を追い求めることは否定しませんが、
妄想から抜け出す能力がなければ私たちは本当の意味での幸せを得ることはできません。

 

 

 

②仏教式自信の持ち方

自信について面白い考察が書かれていたのでこちらも簡単に紹介します。

まず、 本書によれば「 自信とは妄想」とのことです。

自分は「できる」というのも妄想で、
自分は「できない」と思っているのもまた妄想。

自信を持とうという試みは、妄想の上に妄想を重ねるような行為で、ブッダの考え方からしたら、そもそも不合理な発想です。

私は繰り返し自信を持つことの大切さについて解説してきましたが、
果たして本当に自信を持つことは必要ないのでしょうか。

 

草薙さんはこのように言っています。

もし唯一「自信」を持てることがあるとすれば、それは「こう動けば、成果が出る」という見通しが立つようになったときです。それはもちろん、 行動・ 体験の積み重ねの後に、初めて持つことができます。 (中略) 本当は、今この瞬間に、 なんの判断も必要ないのです。そうやって「体験を積む」だけで良いのです。

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

 

これを私なりにまとめると、

不健康な自信=優越感や劣等感に繋がる体験に基づいていないもの
健康的な自信=ただやってみて得られた体験の積み重ねによって自然に生まれたもの

 

私もこの意見には賛成で、地に足のついた健康的な自信は

「計画→行動→達成」

という「体験」を通じてしか本物の自信は生まれないと考えています。

 

ちなみに草薙さんが提唱する自信のつけ方は・・・

①やってみる
②体験を積む
③ある程度の成果を出せるようになる
④周囲が認めてくれるようになる
⑤「こう動けば、ある程度の成果が出せる」と見通しがつくようになる。

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

とのことです。

私もこの意見に大賛成です。

もともと心理学の自己効力感(セルフエフィカシー≒自信)の研究でも、
「達成経験」が最も自信を高めると言われており、
言葉やイメージの世界でどれだけ強がったとしてもそれは本当の自信ではありません。

 

最初の行動を踏み出すきっかけとして

「自分なら大丈夫だ!」

と妄想の力を使うのは良いことだと思いますが、
それをメインにするとどこまでも不安定なものとなるでしょう。

ぜひ、妄想の自信ではなく、

体験や経験に基づいた本物の自信を大切になさってくださいね。

 

 

【関連】正しい自信の持ち方

 

 

③快を追いかけていい

私にとって、この本で一番面白かったのは、

「快を追いかけていい」

というところでした。

究極的な悟りの境地 (涅槃の境地) を目指す人は、全ての反応から解放された状態になるために「快」を求めるべきではないとのことですが、
その目標は全ての人が目指すべきものではなく、目指したい人だけが目指せば良い目標と著者の草薙さんは言っています。

これは非常にありがたいというか、開かれた考え方ですよね。

原始仏教は欲望や快楽を、完全に否定するような禁欲的な教えではありません。

むしろ、快を求める気持ちを上手く活かすことが大切と言います。

もしあなたの中に 、やってみたい 、チャレンジしたいことがあるなら 、その欲求は大切にしてください 。その動機が 、仮に 「おカネを稼ぎたい 」とか 「人より上に立ちたい 」 「競争に勝利したい 」といった 「煩悩 」であっても 、目指すことに 「快 」があるなら 、大いにやってみることです 。

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

 

とあり、たとえ完全に純粋な動機でなかったとしてもやってみることの大切さを説いています。

 

このように言うと、

「みんなが「快」を追求することを許したら、
ますます厳しく殺伐とした世の中になってしまうのではないか!?」

と思われた方もいるでしょう。

 

しかし、欲望や快を追求しても良いと言うのと同時にこのようにも述べています。

 ただし──ここで一つの条件がつきます 。というのは 、欲求の満足が幸せにつながるのは 、本人が 「快 」を感じられる場合だけです 。逆に 、もし欲が膨らみすぎて 、 「焦り 」とか 「不安 」とか 、 「結果が出ない 」 「頑張っても認めてもらえない 」という不満になってしまうのなら 、その欲求はいったん手放さないといけません 。 「苦 (不快 )を感じたら仕切り直しなさい 」というのも 、ブッダの思考法です。

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

 

とあり、欲望や快楽を肯定しつつも、それが良いのはあくまで「快」がある時だけで、それに執着してしまい「苦」が生まれるのであれば立ち止まる必要があると述べています。

要は、快・欲望・煩悩を求めてもいいけど、ほどほどにしておきましょうということなのではないでしょうか。

私たちは快を求め行動している間は幸せかもしれませんが、一度手に入れてしまうとそのあとに「それを失ってしまうかもしれない」という恐怖が湧いてくるものです。

 

例えば、

・学歴
・年収
・ビジネス
・容姿
・他者からの承認

などを思うがままに認めて追い求めてもいいけど、それに取り憑かれてはいけないということです。

 

 

 

④僧侶からみた現代社会

この本の中で一番共感したことは、この現代社会に関する記述です。

 

その世界では 、自分に満足するということが決してありません 。どこまでも 「プライドを守れる 」有利な記号を探して 、それを手に入れるゲ ームが続きます 。学部も 、進路も 、ことごとく 「プライドを守る競争 」に勝つために選びます 。社会に出て何十年経っても 、定年を迎えても 、なお 「プライド 」にこだわりつづける人生がありました 。
(中略)
当たり前のことながら、その世界の住人は、 いつまでも人の目を気にして、どこか臆病で、 心渇いているように見えました。

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

 

著者の草薙さんは東大出身とのことなので、人一倍、努力もされ、競争にも勝ってきた方だと考えられます。

私は決して草薙さんのようにずっと競争に勝ち続けてきた人間ではありませんが、唯一結果を出したとすれば県内トップの進学校に入学することができたことでした。

しかし、子どもの頃から、この無駄な競争は誰も幸せにするがない歪んだものだと感じていました。

大人になって心理学的に自分を分析すればするほど、自分には歪んだ自己愛があり、健康的な人格形成をできるような環境にいなかったことに気づき、鬱っぽくなる時期も経験しました。

結局、20代前半でキリスト教に出会ったことがきっかけで、内面的にプライドを守る競争から降りることができましたが、その競争に取り憑かれてしまっている人をみると複雑な気持ちになります。

多くの日本人の心の中核にあるものはステータスです。

あるがままの自分ではなく、プライドを守れる有利な記号が人生の全てになってしまっている方も珍しくありません。

このような状態では、安心できる人間関係を作ることは難しいでしょうし、心の平安を得ることはできません。

私たちが後世に残すべき教育は、プライドを守れる記号に取り憑かれず、不毛な争いを繰り返さない方法を伝えることです。

 

 

私たちの究極的な目的が真の心の平安であり幸せだとすると、

・偏差値を上げる方法
・大企業に就職する方法
・他の人よりも大きく成功する方法

といったものはどうでもいい。

もちろん、目指したい人は目指せばいいですが、
それよりも「プライドを守る記号」に取り憑かれない方法を、一人一人がしっかりと身に付けることの方が優先順位としては間違いなく高いです。

キリスト教を信仰することも、「プライドを守る競争」から降りることができる方法ではありますが、宗教ではない教えの中で最も有効なのが、哲学である原始仏教だと考えています。

ここ数年のマインドフルネスブームを考えると、少しずつこのような流れがきているとも言えます。

会社や学校でマインドフルネス瞑想が取り入れられることは、個人の幸福だけでなく、社会全体にとっても今後ますます大切となっていくでしょう。

 

 

 

⑤善い生き方

仏教には「慈・悲・喜・捨」という人生の大きな心構えがあります。

簡単に説明すると、

慈 → 相手の幸せを願うこと

悲 → 相手の苦しみや悲しみをそのまま理解すること
喜 → 相手の喜びや楽しさをあるがままに理解すること捨 → 反応しないこと。冷静に観察すること

となります。

これが私たちが幸せに生きるための大まかな方針です。

しかし、これができないのが私たちの普通です。

 

つまり、

・相手の幸せを願わず自分の幸せだけを追求する
・他人の悲しみや苦しみに興味がない
・他人の喜びに興味がない
・妄想に取り憑かれて苦しみ続ける

こんな生き方をしたら絶対に幸せにならないと頭で理解していても、そうしてしまうのが私たち人間です。

ちなみにキリスト教ではこのような性質を「罪」と表現しますが、
本来の意味は「的外れ」という意味です。

私たちは幸せになる方法を知っていても、
的外れな生き方をしてしまう傾向を生まれつき持っているんですね。

それはこれを書いている私も同じです。

では、どうすればこのような的外れな生き方から解放されるのでしょうか?

一つは、

定期的に瞑想を行うことで、自己観察能力を高め、
妄想に取り憑かれないように訓練し続けること。
反応しない練習を続けることです。

 

 

もう一つは、

貢献」を人生の基本的な考え方にすることです。

貢献という動機に立てば 、「では 、この場所で自分にできる役割は何だろう ? 」と最初に考えることになります 。そのときに 、本当の 〝自分にぴったり合った人生 〟がスタ ートするのです 。

【引用】反応しない練習/草薙龍瞬 著

 

と本書にもありますが、

私たちが「貢献」をそもそもの目標にしたとき、それは一方的に搾取されることを意味するのではなく、かえって自分らしく生きることにも繋がるのです。

ポジティブ心理学の研究などでも言われていますが、私たちは「貢献」した時に幸せになるようにプログラムされています。また、貢献すれば、当然、経済的にも恵まれやすくなるでしょう。

結果的に「快」を (ほどほどのレベルで) 楽しむことができ、ますます貢献したくなります。「貢献」を基本にするとき人生全体に良い循環が生まれるのです。

・いかに偏差値ゲームで上位をとるか?
・いかに就職ゲームで良い会社のイスをとるか?

というのがこの社会の常識ですが
このような考え方では不幸になることしかできません。

ぜひ、「貢献」という考え方を最大の基準になさってみてください。

 

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

数あるうちの仏教本の中でもこの本は素晴らしい名著だと思います。

読んでいるだけで、著者の草薙さんの温かさや愛情が伝ってくるような気がしました。

今回、紹介した内容は本のごく一部ですので、ぜひ手に取ってみてください。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

【関連】悩み・苦しみをゼロにする方法【感想】釈迦の教えは感謝だった / 小林正観 著

 


動画版はこちら↓
https://youtu.be/-wNd_5-yymc

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