②人生は偶然か必然か?【書評】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

キリスト教
この記事は約8分で読めます。

今回は前回に引き続き、

その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

の2章「人生の無意味性」に絞って解説します。

・人生の意味について考えている方
・生きることに意味や意義を感じられなくなっている方
・深く人生について考えたい方

このような方におすすめの内容となっておりますので
ぜひ最後までお読みください。

 

 

①人生は偶然の産物?

あなたの人生やこの世界は、
偶然の産物なのでしょうか?

それとも必然的に起きているものなのでしょうか?

 

偶然と考える人は、
私たちの人生の意味や目的などは特になく、

「はっきりした理由がない」

ということになります。

うまく行ったとしても、
行かなかったとしても

それは全て偶然の産物であり、
特に意味はない・・・

「生まれて、生き、死ぬ」

という私たちの人生には
特にこれといった意味はないと考えます。

 

著者の斉藤先生も、

多くの人が「人間は偶然生まれ、偶然死ぬ
という考え方を受け入れるようになりました。

人間の命には、何らかの崇高な
理由や目的があるというよりも、
むしろ一つの生物として誕生して、
やがて老化して死んでいくだけの存在なのだ、ということです。

すべてが「偶然」の手にゆだねられており、
人生がうまく行くのも、行かないのも、
すべてが「たまたまそうなっただけ」という世界観です。

【引用】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

このように述べておられます。

ここでお伝えしたいことは、
このような世界観が
良いとか悪いということではありません。

ここでお伝えしたいことは、
私たちは無意識のレベルで
人生に対して特定の見方を持っているということです。

私たちは育つ過程でこのようなことを
じっくりと考える機会が与えられません。

学校では少しでも
いい点数を取れるように競争させられ、

「なんのための人生か?」
「人生の目的は何か?」

といったことをじっくり考える
暇さえないのではないでしょうか?

そして、
社会人になっても仕事などで忙しく、
このような人生の根本的なことを
考える暇がないように感じます。

少し歪んだ解釈かもしれませんが、

人生に対して深く考えることなく、
思考停止状態で長時間働いてくれる人がいると
経営者や国家にとって都合がいいという事情があるのかもしれません。

 

もちろん人生に対して
どういう世界観を持つかは個々人の自由です。

あなたは、

「人生は偶然の産物か?それとも必然か?」

どのように考えますか?

ぜひ一度じっくり考えていただければ幸いです。

 

 

②無意味さに耐えられなくなる時

全ては偶然で特に意味はない・・・・
人生には意味も目的もないけど
できるだけ楽しく生きて死んでいく・・・

このような感覚で幸せに生きられる人は
それでも問題ありませんが、
そうでない人にとっては
内面的に大変苦しい体験となります。

 

私たちは本能的に

・自分のルーツ(過去)
・自分の生きる意味や目的(未来)

を求めるようにできています。

そして、これらがしっかりわからないと
精神的に混乱をするようにできています。

決して、この感覚は一部の人の特殊なものではありません。

 

例えば、

もし自分の両親が誰かわからなかったら、
どういう人だったかを知りたくなるのは
人として自然な感情です。

今やっている仕事に意味や目的を
感じられていれば充実しますが、
やっていることに意味や目的を感じられなければ
仕事の多くの時間が苦痛となるでしょう。

 

アイデンティティがしっかりと確立されるというのは、
過去と現在と未来が繋がるような感覚がある時です。

過去にこういうことがあったから今の自分があり、
そして、未来の目的に向かって進んで行く・・・

このような感覚があれば私たちの心は安定します。

逆に、過去に起きたできごとがわからなかったり
どうしても納得できないと心は安定しません。

また、未来に自分の中で納得できる
意味や目的を感じられなければ
前向きに人生を送ることができないのです。

例えば、進学先や就職先が決まっていなくて
未来が不確かな時に心が不安定になるのは、
アイデンティティが確立できないからです。

 

このように私たちは、

・自分のルーツ(過去)
・自分の生きる意味や目的(未来)

を求めるようにできています。

 

斎藤先生も、

人間は、もともと自分がしていることに理由を求める心が備わっています。
意味のないことを続けることはできません。
それは人間が人格的で、精神的な存在だからです。

ただ単に生物として生存しているなら満足できる、というものではないのです。

【引用】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

このように述べておられます。

人生について深く考えるタイプの人は、
この世界は偶然の産物で特に意味はなく、

「生まれて、生きて、死ぬ」

という世界観では満足できません。

・そもそもどのようにしてこの世界は始まったのか
・何が人生の目的や使命なのか
・死んだ後、どうなってしまうのか

このようなことが分からなければ、
精神的に満足することができないのです。

どれだけこの世界で積み上げたとしても、
どれだけ社会的に成功したとしても、
どれだけいい人間関係があったとしても、

やがては滅びゆくものなので、
究極的な意味を見いだすことができないからです。

 

 

③人生の意味の答え

ではどうすれば、

・人生には意味や目的がある
・自分やこの世界のルーツはどこにあるのか

といったことがわかるようになるのでしょうか?

それは、目に見えない世界を信じる
信仰」しかありません。

もっと言えば、
宗教」が必要だということです。

時間や空間をも超越した
究極的な善なる存在を仮定し、
それを信じない限り
生きる意味を見いだすことはできません。

このように言うと、

今は科学が発達しているからそれで十分じゃないか!

と思われた方もいるかもしれません。

確かに、科学は私たちの人生を豊かにしてくれますが、

・そもそも私たちはどこからきたのか
・死んだ後はどうなるのか

といったことを完全に証明することはできません。

なぜなら科学とは
仮説を立てて検証するプロセスだからです。

生まれる前のことや死んだ後のことについて
仮説を立てるところまではできますが、
それを検証する方法がないのです。

ビッグバンの前の世界や、
自分の死後のことなどは検証しようがありませんよね。

なので、科学は
人間の根源的な生きる意味や目的については
沈黙するしかないという性質を持っています。

著者の斉藤先生も、

自分の誕生や人生や死が、
なんらかの崇高な理由や目的があって与えられているのだ、
とうことを信じたいのです。

もしそういうものを信じることができれば、
人生が豊かな「充実した意味」に満ちあふれることでしょう。

ところが、そうした人生の理由や目的といったものは、
「目に見えない領域」を信じない限り、答えはないのです。

人生の理由、目的といったものは
目に見えないという本質的な性格がありますので、
人間の生物的な次元を超えた世界を信じない限り、
答えはなにも出てきません。

【引用】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

このように述べておられます。

このように、私たちの生きる意味や目的は、
なんらか目に見えない存在を信じない限り
強く明確なものにすることはできないのです。

例えを出すなら、ビリヤード

ビッグバンがビリヤードの
ブレイクショットだとします。

この世界が「偶然」だと思う人は、
よく分からないけどビッグバンが起きて、
その後の様々な相互作用によってたまたま
今の自分の人生があると考えます。

ブレイクショットである
ビッグバン自体が偶然なので、
当然、自分の人生にも最終的な形にも
意味や目的はないと考えます。

 

それに対して、
なんらかの宗教を通して信仰を持つ人は、
最初のブレイクショットを打った(ビッグバンを引き起こした)存在がいて、
その存在には意図があると考えます。

その存在は時間や空間を超越しており、
伝統的には神と呼ばれる存在です。

その存在は最初の
ブレイクショットを打つ瞬間に
最終的な結末もそのプロセスも全て意図しています。

それゆえ私たちは、
ビッグバンが起きた後の世界に、
ただ「偶然」存在しているのではなく、
生きる意味や目的があると信じることができます。

なんらかの信仰がある人は
起きている全ての出来事には

「意味がある」

と考えます。

私たちの一生の人生は、
私たちの知性を超えた存在が
意味や目的や役割を与えており
決して偶然ではなく必然だと考えることができます。

そうすることで、
うまくいくことも、
うまくいかなったことも含めて
全てには意味があると考えることができるのです。

 

ここまで色々と解説しましたが、

「偶然」なのか「必然」なのかは、
最終的にはどちらを信じるかの問題です。

あなたはどちらの世界観を信じますか?

ぜひ、一度じっくりお考えいただければ幸いです。

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

伝統的なキリスト教では
全ては偶然ではなく意味がある(必然である)と考えます。

そうすることで
強いアイデンティティを確立でき、
辛いことがあったとしても
前向きに意味付けしやすくなるというメリットがあります。

私自身はこの世界は「偶然」ではなく
意味や目的があるということを信じる立場ですが、
やはり私もどっちが正しいかは完全には分かりません。

宗教や信仰というものは、

最終的にはどちらを信じ,受け入れるか?

ということになるので、
正しい・正しくないといったものではないと考えています。

しかし、このような根本的なことが
しっかり確立できていればいるほど
人生に対する迷いや苦しみが大幅に減りますので、
ぜひこれを機会にじっくりお考えいただけたら幸いです。

 

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

コメント

タイトルとURLをコピーしました