⑥後悔の対処法【書評】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

キリスト教
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今回は前回に引き続き、

その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

の6章「人生の後悔性」に絞って解説します。

・過去の後悔に悩まれている方
・過去とどう折り合いをつけていいか分からない方
・後悔の性質や特徴を知りたい方

このような方におすすめの内容となっておりますので
ぜひ最後までお読みください。

 

 

①心を蝕む後悔

「こんなことするべきではなかった」
「本当はこうするべきだった」

過去にしたことを
あるがままに受け入れることができずにいる状態が後悔です。

このような過去に目を向けるとき、
心は重くなり活力は奪われます。

明るい未来をみて
前向きに生きることができなくなってしまうのです。

本当は今日1日を集中して充実して生きたいのに、
過去の記憶が蘇ってきて集中できなくなるなど
日常生活にも支障をきたします。

後悔は心に刺さった棘のようなもので、
何かをきっかけにそのことを思い出しては
嫌な気持ちが蘇ってきます。

このような後悔がなく、
過去の自分の人生全てに
充実した清々しい感覚があればどれほど幸せでしょうか。

しかし、私たちは不完全な存在なので、
後悔が全くないという方はいないでしょう。

 

また、後悔は自分自身の過ちだけではありません。

過去に他人からされた嫌な記憶などを
手放すことができないのも広い意味での後悔です。

 

「他人を許せない!」
「起きるべきではなかった!」

といった感情に囚われることも後悔の一つです。

私たちは生きる中で様々な傷を心に負います。

・言われて嫌だったこと
・されて嫌だったこと
・裏切られる
・騙される

など、様々なことを経験しながら
生きています。

きれいに全てを
受け流すことができるレベルのものであれば、
それほど大きな問題はありません。

しかし、あまりにも大きな問題だと
それを長年引きずってしまうこともあります。

特に関係の深い人とのトラブルが解決できていないと
じわじわと心を蝕んでいきかねません。

忘れようと思っても忘れることができず、
前を向こうと思っても前を向くことができない・・・

思い出そうとしなくても自然と思い出してしまい、
胸が締め付けられるような嫌な感覚に苦しむことになります。

大なり小なりこのような重荷を
私たちは背負っているのではないでしょうか。

 

 

②過去の性質

このように後悔は私たちからエネルギーを奪い、
少しずつ活力を蝕んできます。

なぜ、私たちはこのような
問題を抱えてしまうかと言うと、
それは過去の性質が関係しています。

その性質とは、
「過去は変えることができない」

というもの。

そうなのです。

私たちは、
過去を変えることができないとわかっていても、
それに対してこだわってしまうのです。

・後悔しても意味はない
・後悔することは不合理だ

このように頭で考えて解決できるなら
そもそも人は過去に苦しむことはありません。

人間は論理の生き物ではなく感情の生き物。

ネガティブな感情的な体験が強ければ強いほど、
いくら頭でわかっていたとしても
後悔という形であなたの心を蝕み続けます。

・離婚
・家族などとの絶縁
・いじめ
・虐待

といった過去に起きた出来事は、
変えようがないことです。

変えようがないとわかっていても、
起きた出来事をあるがままに
受け入れることが難しいからこそ
私たちの悩みは長期化してしまうのです。

 

 

③過去の後悔から解放されるには

ではどうすれば、
過去の後悔から解放されるのでしょうか?

それは、
「過去を変える」ことでできます。

「え!さっき《過去は変えられない》って言ってたんじゃないですか!?」

と思われた方もいるでしょう。

しかし、実は過去の客観的な
事実を変えることはできなくても、
過去の「解釈」なら変えることはできます。

・離婚
・絶縁
・虐待

といった事実そのものはやはり変えられません。

しかし、それらの出来事が、
「悪い出来事だった」という解釈は書き換えることができます。

そもそも過去というのは
非常に主観的な世界です。

過去というものは
目に見える形で存在しているのではなく、
あなたの「記憶」の中で存在しているに過ぎません。

過去の出来事に対して、
ネガティブな解釈があると、
「嫌な記憶」として保存され
後々の後悔に繋がるのです。

それだったら、
ネガティブな解釈ではなく、
ポジティブな解釈に書き換えれば
主観的な意味での過去を変えることができるのです。

 

離婚を例にすると、

・離婚があったおかげで
 得られたことはなかったか?
・離婚があったことで
 経験できたことがあったのではないか?
・離婚があったことで
 人間的な成長があったのではないか?

このように、過去の嫌だった出来事の
「善い」面を見つけることで過去の解釈を書き換えることができます。

 

著者の斉藤先生も、

自分の後悔している過去の出来事を、

「取り返しのつかない、あってはならない悲惨な出来事」

だと解釈している限り、
呪縛から逃れることはできません。

過去は影のようにどこまでもおしかぶさってきます。

その過去の出来事を受け入れるには、
その出来事に善い点を見いだす必要があるのです。

その出来事は苦しみを生み出したので、
悲惨なものだと思っていた。

しかし、よく考えてみると、
あの出来事があったから自分は大切な何かを学んだ。

大切な誰かと出会った。

大切な経験を積み、
人生が改善された部分があった。

その出来事に出会ったのは、
確かに苦しみではあったが、
しかし結果的に善いことだったのだ。

・・・もしこのような形に解釈することができたならば、
過去への後悔というものは薄れて、
次第に消えていきます。

【引用】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

このように述べておられます。

 

 

④「信仰」が後悔を和らげる

しかし、この方法にも問題点があります。

それは、過去の後悔があまりにも強いと
実際には善い点を見つけることが難しいということです。

・一方的にいじめられた
・一方的に虐待された
・一方的に犯罪の被害にあった

などといった理不尽なことに対して、
私たちはそう簡単に善い面を見つけることはできません。

そこで、「信仰」が助けになります。

信仰があることで、

「今の自分にはポジティブに
 解釈することは絶対にできないけど、
 人知を超えた神の視点から見ると
 長期的にはポジティブな意味が必ずある」

 

このように、「自分の視点」ではなく、
時間や空間を超越した「神の視点」を通して
過去に起きた出来事を見ることで、
あるがままを受け入れやすくなります。

神という存在は定義上、
究極的な善であり、永遠であり、正義の存在です。

このような前提があることで初めて、
私たちの人生に起きる全ての事は
意味があると信じることができるのです。

どれほど理不尽で嫌なことだったとしても
その背後には、より大きな知性があり
その存在がその出来事が起きるのを許している。。。

と信じることであるがままを受け入れやすくなります。

もちろんそう考えようと思ってもなかなか
難しいこともありますが、
「信仰」はあるがままを受け入れるのに非常に役立つでしょう。

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

これを書いている私も
「過去の後悔」に苦しんだとき
信仰が非常に大きな助けになりました。

ポイントは、
「自分」という狭い視点で見るのではなく
「神」という究極的に広く高い視点から
物事を見ることで抽象度を上げることです。

脳科学的に見れば、
前頭前野(理性)を機能させ、
扁桃体(感情)の暴走を抑えることができるのです。

ぜひ、お役立ていただけたら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 


 

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