⑧無関心の対処法【書評】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

キリスト教
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⑧無関心の対処法【書評】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

今回は前回に引き続き、

その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

の8章「人生の無関心性」に絞って解説します。

・自己愛の付き合い方に悩まれている方
・あらゆる問題の根本原因について知りたい方

このような方におすすめの内容となっておりますので
ぜひ最後までお読みください。

 

 

①自己愛が争いの根本原因

少し悲しいかもしれませんが、
私たちは基本的に自分のことにしか関心がありません。

私の財産、私の楽しみ、私の評判、
私の食べ物、私の予定、私の健康

このように私たちの頭の中は、
「私、私、私」と、
私物語がずっと流れています。

私たちにとって大切なことは
自分か自分の延長線上のことだけで、
それ以外の他者については
驚くほど無関心になります。

 

私たちは、

「誰かの車が盗まれた」

 

という言葉には大して反応しませんが、

「私の車が盗まれた」

となるとまるで違う反応になります。

」という言葉が入るだけで
まるで状況が変わってしまうのです。

これは全て自己愛のなせる業。

この自己愛が強ければ強いほど、
自分と他人の区別が強くなり、
他人との争いが多くなります。

常に自分の利益だけを優先する人間が集まれば、
争いが起きない方が不自然です。

資源が無限であれば
争いは起きないかもしれませんが、
残念ながら私たちの資源は有限です。

自己愛が強ければ強いほど、
有限な資源を少しでも他人ではなく
大切な「自分」に掻き集めようとするのです。

そして争い、喧嘩、戦争がおるわけです。

全ての問題の根本的な原因は自己愛なんですね。

 

著者の斉藤先生も、

結局人間社会のあらゆる問題というのは、
ここ(自己愛)に帰着するのではないか、と思わされます。

私たちの愛がひどく限定されたものだからこそ、
私たちは憎しみ合って対立するのです。

自己愛があるから「敵と味方」が生じます。
「こちらとあちら」ができます。

こうして二つに分断されれば、
そこには対立、憎しみ、混乱、争いが生まれます。

家庭、学校、企業、病院、社会国際関係、
およそ全ての関係のうちにあるのは
こうした自己愛です。

自己愛は内に、対立と抗争をはらんでいるのです。

愛が限定されているからです。

関心の範囲が狭く、
自分の利益を決して他人と共有しようとはしないからです。

全てを自分の手元に置いておこうとするのです。

【引用】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

このように述べておられます。

 

 

②健康的な自己愛

ここまで自己愛の問題点について解説したので、

自己愛こそ人間の敵だ!
自己愛をなくせば社会は平和になる!

と思われた方もいるかもしれません。

ある意味でそれは正しいのですが、
自己愛の全てを否定する必要はありません。

私たちはやはり一人一人が自分を大切にして
自分らしさを確立する必要があります。

自分の幸せを願うこと自体は何も悪くありません。

泳げない人が溺れている人を助けられないように、
自分自身が不幸を感じていたら
他人を幸せにすることなどできません。

なので、自分を満たすことは大切です。

・自分の健康
・自分の食べ物
・自分の睡眠
・自分の時間
・自分の楽しみ

といったものを全て無視して
他人に尽くすというのは現実的ではありませんよね。

・心身ともに不健康
・まともに食べてない
・平均睡眠時間2時間
・自由時間ゼロ
・楽しみは全て封印

このような生活をして、
自分自身が倒れてしまったら元も子もありません。

短期的には良いことをしたような感じがして
満足感が得られるかもしれませんが、
継続性がないのです。

なので、やはり私たちは
自分自身を満たすこともしっかりと考えるべきなのです。

商売・ビジネスで言えば、
しっかりとお金を受け取って、
毎月のキャッシュフローがしっかりしていなければ
その事業を継続させることができなくなります。

もし自己愛を敵視していると、
お金を受け取ったりとか、
利益を出すことに心のブレーキがかかります。

自分はみんなの幸せのためにやっているのであって
お金を受け取るためにやっているわけではない・・・

このような思いが強すぎると、
結局は全てが破綻してしまって何も残りません。

それは誰にとっての利益にもならないのです。

自己愛が強くなりすぎて
相手から奪うことばかりになって
しまうことはよくありませんが、
継続的な貢献をするために
自分自身を健康的に保つことは大切なことなのです。

 

宗教を大切にしたい
道徳的に生きていきたい

このように思われている方であればあるほど、
良い循環を生むのに必要な
自己愛すら否定しようとしがちです。

それでは全てがうまくいかなくなりますので
お気をつけください。

 

 

③信仰と自己愛

自己愛を全否定するのではなく、
適度に自分を満たすことの大切さを解説しましたが、

そもそも、なぜ私たちには
自己愛というものがあるのでしょうか?

おそらく一番の根っこにあるのは「です。

私たちは誰も体験したことのない死というものを
本能的に遠ざけようとします。

著者の斉藤先生も、

財産、名声、知識、健康、業績・・・
こうしたすべてを溜め込むことができれば、
死から遠ざかれるように思います。

自分のところにこうした
死から遠ざかるための道具を
たくさん持っておくことが自己愛なのです。

【引用】その悩み、キリスト教が解決です 斉藤真行 著

このように述べておられます。

自己愛を乗り越え、
利他的な生き方をしようと思っても
実際には非常に難しいのが現実です。

なぜならそれは私たちにとって
究極的な恐怖である死を克服できていないからです。

 

ではどうすれば、
この恐怖に打ち勝つことができるのでしょうか?

 

その鍵になるのが「信仰」。

キリスト教に限らず宗教には、
ほぼ必ずと言っていいほど
死後の世界が描かれています。

キリスト教であれば天国
仏教であれば輪廻

どちらを信じるかは
個人の自由だと思います。

ただ、「」という問題を克服することができる
論理を心の中に持っておくことは
自己愛を乗り越えるのに非常に役立ちます。

そうすることで、
自己愛の根本的な原因である
死への恐怖」を和らげることができるからです。

この究極的な問題の解決策を考えずに
自己愛を抑制しようと思っても
実際にはなかなか難しいのではないでしょうか。

 

私たちは少なくとも口先では、
道徳や倫理、利他というものを大切にしています。

企業が、

「他人のことはどうでもいい!
 我が社だけの利益を追求する!」

といった経営理念を掲げることはほぼないでしょう。

 

大抵は、

「みんなの幸せのために貢献する」

といったものではないかと思います。

私たちは、利他や道徳、倫理が大切なことは
頭の中ではわかっています。

そのような生き方ができれば、
真に幸せになることができることも
何となくはわかっているのだと思います。

しかし、死の恐怖からくる
自己愛を克服することができないから、
実際には問題や争いが続くわけです。

 

このようなジレンマを解消するためには
やはり「信仰」しかありません。

「死」という究極的な問題をも
克服することのできる論理があれば
その恐怖を和らげることができるからです。

もちろん、どの宗教も、

・絶対に正しい
・絶対に間違っている

を証明することはできません。

しかし、信仰自体に、
「証明することも、
 見ることもできないものを信じること」

という性質があるのでそれでいいのです。

証明できたとしたら、
それはもはや信仰ではありません。

 

信仰が深まれば深まるほど、
死への恐怖が薄くなります。

死への恐怖が薄くなれば
自己愛を強く持つ必要も薄まります。

そうすることで初めて、
私たちは真に利他的な生き方をすることができるのです。

 

 

まとめ

いかがだったでしょうか?

今回は、

・自己愛が私たちのあらゆる問題の根本原因であること
・自己愛の根っこにあるのは死の恐怖であること
・死の恐怖、自己愛を乗り越えるには信仰が必要であること
・信仰が強くなればなるほど
 自己愛を強く持つ必要がなくなること

などをお伝えさせていただきました。

科学は「死への恐怖」を先送りしてはくれますが、
少なくとも今の段階では究極的な解決策ではありません。

どれだけのお金持ちや成功者になったとしても
やがては死の問題が訪れます。

なので、科学がいくら発展したとしても
宗教・信仰の重要性は失われないでしょう。

ぜひ、この記事が人生の根本的な
問題を考えるのにお役立ていただけたら幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 


 

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