はじめに
自閉スペクトラム症(ASD)の人々が抱える困難の中で、「自己」に関する問題は重要なテーマの一つです。特に「自己連続性」、つまり過去から現在、そして未来へと続く一貫した自己感覚の形成と維持に課題があることが、近年の研究で明らかになってきました。
本記事では、ASDにおける自己連続性の問題について、最新の研究知見を交えながら詳しく解説していきます。
ASDと自己の問題 – その歴史的背景
そもそも「自閉症(autism)」という言葉自体が、ギリシャ語の「autos(自己)」に由来しています[1]。1943年にカナーが最初の自閉症研究論文を発表して以来、自閉症の人々における「自己」の特異性は注目されてきました。
カナーは当時、自閉症の子どもたちについて「自己満足的」「内なる意識と外界との間に精神的な障壁がある」などと表現しています[1]。こうした自己への没頭や自己中心性は、その後も自閉症の特徴として指摘され続けてきました。
しかし、近年の研究では単に「自己中心的」というだけでなく、より複雑な自己の問題が浮き彫りになってきています。その中でも特に注目されているのが「自己連続性」の課題です。
自己連続性とは何か
自己連続性とは、過去・現在・未来の自分を一貫したものとして認識し、統合する能力を指します。これは単に自分の記憶を持っているということではなく、それらの記憶や経験を意味づけ、自分のアイデンティティの一部として取り込んでいく過程を含みます。
健常者の場合、自伝的記憶(自分の人生における重要な出来事の記憶)を振り返り、そこから意味を見出し、現在の自分や将来の自分像に結びつけていくことで、一貫した自己イメージを形成・維持しています。
しかし、ASDの人々にはこのプロセスに困難があることが、様々な研究で示唆されています。
ASDにおける自己連続性の課題
自伝的記憶の特異性
ASDの人々は、自伝的記憶の想起に特徴的な傾向があることが分かっています。例えば:
- 具体的な詳細よりも抽象的な情報を多く想起する
- 社会的・感情的な要素の少ない記憶を想起しやすい
- 自己に関連する記憶の想起が少ない
これらの特徴は、自己連続性の形成に影響を与える可能性があります。具体的で個人的な経験の記憶が少ないと、それらを現在の自己と結びつけることが難しくなるからです[2]。
意味づけの困難
ASDの人々は、過去の経験から意味を見出し、それを現在の自己理解に活かすことに困難を感じる傾向があります。これは「自伝的推論」と呼ばれるプロセスの障害と関連していると考えられています[3]。
自伝的推論とは、過去の経験を振り返り、そこから教訓を得たり、自己の成長を認識したりする能力です。この能力が低下していると、過去の自分と現在の自分をつなぐ「物語」を作ることが難しくなります。
自己概念の不明確さ
ASDの人々は、自己概念(自分自身についての明確なイメージや理解)が不明確である傾向が報告されています[3]。これは部分的に、上記の自伝的推論の困難さに起因すると考えられています。
過去の経験から自己に関する洞察を得ることが難しいため、「自分とは何者か」という問いに答えることに困難を感じやすいのです。
神経科学的知見
最近の脳画像研究は、ASDにおける自己連続性の問題に新たな光を当てています。
デフォルトモードネットワークの異常
自己関連処理に重要な役割を果たす脳領域として、「デフォルトモードネットワーク」と呼ばれる領域があります。このネットワークには、内側前頭前皮質や後部帯状回などが含まれます。
ASDの人々では、このネットワークの活動パターンや結合性に異常が見られることが報告されています[4]。特に、自己に関する情報処理時に、内側前頭前皮質の活動が健常者と異なることが分かっています。
この異常は、自己連続性の形成・維持に影響を与えている可能性があります。内側前頭前皮質は、自伝的記憶の想起や自己関連情報の処理に重要な役割を果たすからです。
自己認識と他者認識の乖離
興味深いことに、ASDの人々では自己認識と他者認識に関わる脳領域の活動パターンに特徴的な乖離が見られることがあります[4]。
健常者では、自己に関する情報処理と他者に関する情報処理で、類似した脳領域が活性化します。しかしASDの人々では、この重なりが少ないことが報告されています。
この知見は、ASDの人々が自己と他者を区別して認識する傾向が強いことを示唆しており、社会的相互作用の困難さとも関連している可能性があります。
自己連続性の問題が日常生活に与える影響
自己連続性の課題は、ASDの人々の日常生活にさまざまな影響を及ぼす可能性があります。
アイデンティティの不安定さ
一貫した自己イメージを形成・維持することが難しいため、「自分は何者なのか」という根本的な問いに答えることに困難を感じやすくなります。これは特に思春期以降、アイデンティティの確立が重要になる時期に大きな課題となる可能性があります。
将来の計画立案の困難
過去の経験から学び、それを未来の自分に結びつけることが難しいため、長期的な目標設定や人生設計に困難を感じる可能性があります。
社会的関係の構築・維持の難しさ
自己と他者の認識の乖離は、他者との共感や相互理解を難しくする可能性があります。また、自己の一貫性が不明確なため、他者に自分を説明したり、自己開示をしたりすることに困難を感じる可能性があります。
感情調整の困難
過去の経験から学び、それを現在の感情調整に活かすことが難しいため、ストレス対処や感情管理に課題を抱えやすくなる可能性があります。
支援の可能性 – 自己連続性を育むアプローチ
ASDの人々における自己連続性の課題に対して、いくつかの支援アプローチが考えられます。
ナラティブセラピー
自分の人生を物語として捉え、それを語る練習をすることで、過去・現在・未来の自己をつなぐ「物語」を作る能力を育むことができる可能性があります。
自伝的記憶トレーニング
具体的で個人的な自伝的記憶の想起を促すトレーニングを行うことで、より豊かな自己イメージの形成を支援できる可能性があります。
メタ認知スキルの向上
自己モニタリングや自己内省のスキルを向上させることで、自己理解を深め、自己連続性の感覚を強化できる可能性があります。
マインドフルネス
現在の瞬間に注意を向けるマインドフルネスの実践は、自己への気づきを高め、自己連続性の感覚を支える可能性があります。
社会的スキルトレーニング
他者との相互作用を通じて自己理解を深めるための社会的スキルトレーニングも、間接的に自己連続性の形成を支援する可能性があります。
今後の研究課題
ASDにおける自己連続性の問題は、まだ多くの未解明な点が残されています。今後の研究課題としては以下のようなものが考えられます:
- 自己連続性の発達過程:ASDの子どもたちにおいて、自己連続性がどのように(あるいはどのように異なって)発達していくのかを縦断的に調査する必要があります。
- 個人差の要因:ASDの人々の中でも、自己連続性の課題の程度には個人差があると考えられます。この個人差に影響を与える要因(知能、言語能力、環境要因など)を明らかにすることが重要です。
- 介入効果の検証:上記で挙げたような支援アプローチの効果を、科学的に検証していく必要があります。
- 神経基盤のさらなる解明:自己連続性に関わる脳内メカニズムをより詳細に解明し、ASDにおける特異性を明らかにしていく必要があります。
- 文化差の検討:自己連続性の概念や重要性は文化によって異なる可能性があります。ASDにおける自己連続性の問題が、文化によってどのように異なるのかを検討することも重要です。
まとめ
ASDにおける自己連続性の問題は、単なる「自己中心性」ではなく、より複雑で多面的な課題であることが明らかになってきました。過去・現在・未来の自己をつなぐ「物語」を作ることの困難さは、アイデンティティの形成や社会的関係の構築など、様々な面で影響を及ぼす可能性があります。
しかし同時に、この問題に対する理解が深まることで、より効果的な支援の可能性も開けてきています。自伝的記憶の活用やナラティブアプローチなど、自己連続性を育む取り組みは、ASDの人々のQOL向上に貢献する可能性があります。
今後さらなる研究が進み、ASDにおける自己連続性の問題がより深く理解され、それに基づいた支援が発展していくことが期待されます。それは単にASDの人々だけでなく、私たち全ての人間にとって「自己」とは何かを考える貴重な機会を提供してくれるかもしれません。
参考文献
- https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5572253/
- https://link.springer.com/article/10.1007/s10803-018-3621-y
- http://www.self-definingmemories.com/ArticlesSince2015/2016bBerna.pdf
- https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3117464/
- https://www.researchgate.net/publication/380230907_Narrative_Identity_Alterations_in_Autism_Spectrum_Disorder_A_Life_Story_Approach
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