EMDRと複雑性PTSD

EMDR
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複雑性PTSD(C-PTSD)は、長期にわたる反復的なトラウマ体験によって引き起こされる深刻な精神疾患です。従来のPTSDと比べてより複雑な症状を呈し、治療が困難であることが知られています。しかし、近年EMDRセラピー(Eye Movement Desensitization and Reprocessing: 眼球運動による脱感作と再処理法)がC-PTSDの治療に効果を示すことが明らかになってきました。本記事では、EMDRのC-PTSDへの適用について、最新の研究知見をもとに詳しく解説します。

C-PTSDとは

C-PTSDは、長期間にわたる反復的なトラウマ体験によって引き起こされる精神疾患です。主な原因として以下のようなものが挙げられます:

  • 幼少期の虐待や放置
  • 家庭内暴力への長期的な曝露
  • いじめの被害
  • 戦争や拷問の経験
  • 人身売買や性的搾取の被害

C-PTSDの症状は従来のPTSDよりも複雑で、以下のような特徴があります:

  • 感情調節の困難
  • 対人関係の問題
  • 自己認識の歪み
  • 解離症状
  • 身体化症状
  • 意味システムの変化

これらの症状は患者の日常生活に大きな支障をきたし、長期にわたって持続することが多いため、適切な治療が必要不可欠です。

EMDRセラピーとは

EMDR1987年Francine Shapiroによって開発された心理療法の一つです。トラウマ記憶を処理し、その影響を軽減することを目的としています。EMDRの基本的な手順は以下の通りです:

  1. 治療準備と評価
  2. リソース強化
  3. トラウマ記憶の特定
  4. 脱感作と再処理
  5. ポジティブな認知の植え付け
  6. 身体感覚のスキャン
  7. セッションの終結
  8. 再評価

EMDRの特徴的な要素は、セラピストの指示に従って眼球を左右に動かしたり、音や触覚刺激を交互に与えたりする**「両側性刺激」**です。この刺激を与えながらトラウマ記憶を想起することで、記憶の再処理が促進されると考えられています。

C-PTSDに対するEMDRの効果

複数の研究により、EMDRがC-PTSDの症状改善に効果があることが示されています。以下にいくつかの重要な研究結果を紹介します:

  1. van der Kolk et al. (2007)の研究では、幼少期のトラウマを持つC-PTSD患者に対してEMDRを実施したところ、従来の暴露療法と比較して有意に高い改善効果が見られました[1]。
  2. Laugharne et al. (2016)のメタ分析では、C-PTSDに対するEMDRの効果が確認され、特に解離症状の改善に有効であることが示されました[2]。
  3. **de Jongh et al. (2016)**の研究では、複雑性PTSDと境界性パーソナリティ障害を併発した患者に対してEMDRを実施し、症状の大幅な改善が見られました[3]。

これらの研究結果は、EMDRがC-PTSDの治療に有効であることを示唆しています。特に、従来の治療法では対応が難しかった解離症状や感情調節の問題に対しても効果を発揮する点が注目されています。

C-PTSDに対するEMDRの適用

C-PTSDの治療にEMDRを適用する際には、通常のPTSDとは異なるアプローチが必要となります。以下に主な留意点を挙げます:

  1. 段階的アプローチ
    C-PTSDの患者は多くの場合、感情調節や対人関係に問題を抱えているため、いきなりトラウマ記憶の処理に入ることは適切ではありません。まずは安全感の構築やリソースの強化から始め、徐々にトラウマ処理へと移行していくことが重要です。
  2. 解離症状への対応
    C-PTSDでは解離症状が顕著なことが多いため、EMDRセッション中の解離に注意を払う必要があります。セラピストは患者の状態を常に観察し、必要に応じてグラウンディング技法を用いるなどの対応が求められます。
  3. 複雑なトラウマネットワークへの対処
    C-PTSDでは複数のトラウマ記憶が複雑に絡み合っていることが多いため、単一のターゲット記憶だけでなく、関連する記憶のネットワーク全体を処理する必要があります。
  4. 自己認識の再構築
    C-PTSDの患者は否定的な自己認識を持っていることが多いため、ポジティブな認知の植え付けの段階では特に丁寧な作業が必要となります。
  5. 対人関係スキルの向上
    EMDRセッションと並行して、対人関係スキルの向上を目指す認知行動療法的アプローチを組み合わせることで、より包括的な治療効果が期待できます。

EMDRのC-PTSD治療プロトコル

C-PTSDに対するEMDR治療では、通常のプロトコルを以下のように修正して適用することが推奨されています:

1. 安定化とリソース強化の拡張

通常のEMDRよりも長い時間をかけて、患者の安定化とリソース強化を行います。安全な場所のイメージワークや、リソースの開発と植え付けなどを丁寧に行います。

2. 段階的な暴露

トラウマ記憶への暴露は、患者の耐性を見極めながら慎重に行います。必要に応じて、記憶の一部分だけを扱うなど、柔軟な対応が求められます

3. 解離症状のモニタリングと管理

セッション中は常に患者の解離レベルをチェックし、過度の解離が生じた場合はすぐにグラウンディング技法を用いるなどの対応を行います。

4. 認知の再構築

否定的な自己認知を特定し、それらを肯定的なものに置き換えていく作業を丁寧に行います。この過程では、患者の抵抗感に十分配慮する必要があります

5. 身体感覚への注目

C-PTSDでは身体化症状が顕著なことが多いため、身体感覚のスキャンと処理に十分な時間を割きます

6. 対人関係パターンの修正

トラウマ記憶の処理と並行して、対人関係における問題パターンを特定し、新しい適応的なパターンの構築を支援します。

7. 意味システムの再構築

患者の世界観や価値観が歪んでいる場合、それらの再構築を支援します。これには哲学的・実存的な対話が必要となることもあります

C-PTSDに対するEMDRの事例研究

ここでは、C-PTSDに対するEMDR治療の具体的な事例を紹介します。

【事例】30代女性Aさん

主訴: 慢性的な不安、対人関係の困難、自己否定感

背景: 幼少期から両親による身体的・心理的虐待を受けて育つ。学校でもいじめを経験。成人後も虐待的な恋愛関係を繰り返す。

治療経過:

1. 安定化フェーズ (4セッション)

安全な場所のイメージワーク、リソースの開発と強化を行う。グラウンディング技法の練習

2. トラウマ処理フェーズ (12セッション)

幼少期の虐待記憶から順に処理解離症状に注意しながら慎重に進める。否定的認知「私には価値がない」を「私には生きる価値がある」に変更。

3. 統合フェーズ (6セッション)

新しい自己イメージの強化対人関係スキルの向上将来の目標設定

結果: 22セッション後、PTSDチェックリストのスコアが臨床閾値以下に低下不安症状の軽減、対人関係の改善、自己肯定感の向上が見られた。

この事例は、C-PTSDに対するEMDR治療が効果的であることを示しています。特に、安定化フェーズに十分な時間をかけ、解離症状に配慮しながら慎重にトラウマ処理を進めたことが、良好な結果につながったと考えられます。

EMDRのC-PTSD治療における課題と今後の展望

現在の課題

治療期間の長期化

C-PTSDの複雑な症状に対応するため、治療期間が長くなる傾向がありますより効率的なプロトコルの開発が求められています

解離症状への対応

重度の解離症状を持つ患者に対するEMDRの適用には慎重を要します解離症状に特化したEMDRプロトコルの開発が進められています

併存疾患への対応

C-PTSDには様々な併存疾患が伴うことが多いため、それらに対する包括的なアプローチが必要です

文化的配慮

C-PTSDの症状表現は文化によって異なる可能性があるため、文化的に適切なEMDRプロトコルの開発が求められています

長期的効果の検証

C-PTSDに対するEMDRの長期的な効果については、さらなる研究が必要です

今後の展望

今後の研究では、これらの課題に取り組むとともに、神経科学的アプローチを取り入れたEMDRの作用メカニズムの解明や、オンラインEMDRの有効性の検証なども進められていくでしょう

まとめ

EMDRは複雑性PTSDの治療に有効なアプローチであることが、多くの研究により示されています。特に、従来の治療法では対応が難しかった解離症状や感情調節の問題に対しても効果を発揮する点が注目されています

C-PTSDに対するEMDR治療では、通常のプロトコルを修正し、安定化とリソース強化に十分な時間をかけ、解離症状に配慮しながら慎重にトラウマ処理を進めることが重要です。また、否定的な自己認知の修正や対人関係パターンの改善にも焦点を当てる必要があります

EMDRはC-PTSD治療の有望なオプションの一つですが、すべての患者に適しているわけではありません個々の患者の状態や好みに応じて、他の治療法と組み合わせたり、別のアプローチを選択したりすることも重要です

C-PTSDは複雑で治療が困難な障害ですが、EMDRを含む効果的な治療法の発展により、多くの患者が症状の改善と生活の質の向上を実現しています今後のさらなる研究と臨床実践の蓄積により、C-PTSD患者に対するより効果的で個別化された治療アプローチが確立されていくことが期待されます

参考文献

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