EMDRと解離: 複雑性トラウマの治療における統合的アプローチ

EMDR
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眼球運動による脱感作と再処理法 (EMDR) は、トラウマ治療の分野で広く認知された効果的な心理療法の一つです。一方で、解離は複雑性トラウマの中核的な症状であり、治療を困難にする要因となることがあります。本記事では、EMDRと解離の関係性、複雑性トラウマにおけるEMDRの適用、そして解離症状を持つクライアントへのEMDR治療のアプローチについて詳しく解説します。

解離とは

解離は、「正常な意識、記憶、アイデンティティ、または環境の知覚の統合における中断や不連続性」と定義されます[4]。解離には以下のような症状が含まれます:

解離の症状

  • 離人感・現実感消失
  • 記憶の断片化
  • アイデンティティの混乱
  • 感情の麻痺
  • 身体感覚の変化

解離は、深刻なトラウマや慢性的なストレスに対する防衛反応として発生することがあります。一時的な状態(状態解離)と持続的な特性(特性解離)の両方があり、非臨床群でも軽度の解離体験は珍しくありません[4]。

EMDRの基本原理

EMDRは、Francine Shapiroによって開発された8段階のプロトコルに基づく心理療法です。その核心は、トラウマ記憶の再処理適応的な情報処理の促進にあります。EMDRの主な特徴は以下の通りです:

EMDRの主な特徴

  1. 両側性刺激(眼球運動など)の使用
  2. 標的となるトラウマ記憶の同定と焦点化
  3. 認知、感情、身体感覚の統合的アプローチ
  4. 適応的な情報処理の促進

EMDRは当初PTSDの治療法として開発されましたが、その適用範囲は複雑性トラウマや解離性障害にまで拡大しています[2]。

複雑性トラウマとEMDR

複雑性トラウマは、長期にわたる反復的なトラウマ体験(例: 児童虐待、家庭内暴力)によって引き起こされる症状の集合体です。複雑性トラウマの特徴として以下が挙げられます:

  • 感情調節の困難
  • 対人関係の問題
  • 自己概念の歪み
  • 解離症状
  • 身体化症状

複雑性トラウマの治療においては、段階的なアプローチが推奨されています[5]:

  1. 安定化と症状管理
  2. トラウマ記憶の処理
  3. 統合と社会復帰

EMDRは、特に第2段階のトラウマ記憶の処理において重要な役割を果たします。しかし、複雑性トラウマを持つクライアントの場合、標準的なEMDRプロトコルをそのまま適用することは難しい場合があります。そのため、解離症状に配慮した修正アプローチが必要となります。

解離とEMDR: 課題と対応策

解離症状を持つクライアントにEMDRを適用する際には、いくつかの課題があります:

  1. 過剰な情動活性化のリスク
  2. 解離による記憶へのアクセス困難
  3. 治療同盟の維持の難しさ
  4. 複雑な内的システムの存在(特に解離性同一性障害の場合)

これらの課題に対応するため、以下のような修正アプローチが提案されています:

1. 段階的アプローチ

Van der Hart らは、構造的解離理論に基づいた段階的なEMDRアプローチを提唱しています[6]。このアプローチでは、以下の段階を踏みます:

  • フェーズ1: 安定化と症状軽減
  • フェーズ2: トラウマ記憶の処理
  • フェーズ3: 人格の(再)統合とリハビリテーション

各フェーズで、特定の内的・外的恐怖症に取り組むことが重要とされています。

2. リソース開発と導入 (RDI)

Korn & Leedsによって開発されたRDIは、EMDRの準備段階で用いられる技法です[6]。クライアントの内的リソースを強化し、安全感を高めることで、トラウマ処理の土台を作ります

3. フラッシュバック・コントロール技法

**Manfieldらは「フラッシュバック・コントロール技法」**を開発しました[2]。この技法では、フラッシュバックの最初の瞬間に焦点を当て、それを安全な現在と結びつけることで、症状のコントロール感を高めます

4. プログレッシブ・アプローチ

**Gonzalez & Mosqueraによって提唱された「プログレッシブ・アプローチ」**は、解離症状を持つクライアントに対するEMDRの段階的な適用方法です[5]。このアプローチでは:

  • クライアントの統合能力に応じて介入の強度を調整
  • 解離のレベルを常にモニタリング
  • 必要に応じてリソース強化と症状安定化を繰り返す

5. 解離性部分への配慮

解離性同一性障害 (DID) や他の複雑な解離性障害を持つクライアントの場合、異なる解離性部分 (自我状態) への配慮が必要です。Paulsenは、DIDクライアントへのEMDR適用において以下のポイントを強調しています[6]:

  • システム全体の同意と協力を得る
  • 内部コミュニケーションを促進する
  • 各部分の役割と機能を尊重する
  • 段階的にトラウマ処理を行う

EMDRと解離: 最新の研究知見

EMDRと解離に関する研究は近年急速に進展しています。以下にいくつかの重要な知見を紹介します:

解離性PTSDへの効果

Zoet らの研究では、解離性サブタイプのPTSDを持つ患者でも、集中的なトラウマ焦点化治療(EMDRを含む)の効果が確認されました[2]。

神経生物学的メカニズム

Scalabrini らは、EMDRが解離症状に関連する脳領域(デフォルトモードネットワークや顕著性ネットワークなど)に影響を与える可能性を指摘しています[4]。

グループEMDRの有効性

Gonzalez-Vazquez らの研究では、複雑性トラウマと解離を持つ患者に対するグループEMDR療法の効果が示されました[5]。

フラッシュ技法

Wongは、高度に解離したホームレスクライアントに対するフラッシュ技法のグループプロトコルの有効性を報告しています[2]。

これらの研究は、EMDRが解離症状を持つクライアントにも適用可能であり、適切な修正を加えることで効果的な治療法となりうることを示唆しています。

臨床実践のためのガイドライン

EMDRを解離症状を持つクライアントに適用する際の一般的なガイドラインは以下の通りです:

包括的なアセスメント

トラウマ歴、解離症状の程度、内的システムの複雑さを詳細に評価します。

段階的アプローチ

安定化とリソース強化から始め、徐々にトラウマ処理へと移行します。

安全性の確保

セッション中の過剰な解離を防ぐために、「安全な場所」のワークなどを活用します。

解離のモニタリング

セッション中は常にクライアントの解離レベルをチェックし、必要に応じて介入を調整します。

柔軟性

標準プロトコルに固執せず、クライアントのニーズに応じて柔軟に対応します。

内的コミュニケーションの促進

解離性部分間の協力と対話を促進します。

統合能力の強化

日常生活でのスキルトレーニングと並行して、トラウマ処理を進めます。

継続的な教育

クライアントにトラウマと解離のメカニズム、EMDRの原理について教育します。

多職種連携

必要に応じて、精神科医や他の専門家と連携します。

自己ケア

セラピスト自身の二次的トラウマ化を防ぐため、適切な自己ケアと監督を受けることが重要です。

結論

EMDRは複雑性トラウマと解離性障害の治療において有望なアプローチですが、標準プロトコルをそのまま適用することは困難な場合があります。解離症状を持つクライアントに対しては、段階的で柔軟なアプローチが必要です。最新の研究知見と臨床経験に基づいた修正技法を適切に用いることで、EMDRは解離を伴う複雑性トラウマの治療に大きく貢献する可能性があります。

しかし、この分野にはまだ多くの課題が残されています。今後の研究では、EMDRが解離症状に与える神経生物学的影響のさらなる解明や、様々な解離性障害に対する長期的な治療効果の検証が期待されます。また、文化的背景や個人差を考慮したEMDRプロトコルの開発も重要な課題となるでしょう。

臨床家にとっては、最新の研究知見を踏まえつつ、個々のクライアントのニーズに合わせた柔軟な対応が求められます。EMDRと解離に関する継続的な学習と、経験豊富な監督者からのサポートが、効果的な治療の鍵となるでしょう。

解離を伴う複雑性トラウマの治療は困難を伴いますが、EMDRを含む統合的アプローチによって、多くのクライアントが癒しと成長の道を歩むことができるのです。

参考文献

Gonzalez, A., & Rojas, C. (2016). EMDR and Dissociation: The Progressive Approach. Anabel Gonzalez.

EMDRIA. (2020). EMDR therapy and dissociation. Retrieved from https://www.emdria.org/blog/emdr-therapy-and-dissociation/

International Society for the Study of Trauma and Dissociation. (2023). Retrieved from https://www.isst-d.org

Scalabrini, A., Mezzina, R., & Cuneo, C. (2020). EMDR and dissociation: New insights. Journal of Clinical Psychology, 76(10), 1920-1934. https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC10505816/

Gonzalez-Vazquez, J., Zas, E., & Martinez, A. (2017). Group EMDR for complex trauma and dissociation. Frontiers in Psychology. https://www.frontiersin.org/journals/psychology/articles/10.3389/fpsyg.2017.02377/full

Wong, L. (2018). Flash technique for highly dissociative clients. Journal of Trauma Therapy, 15(2), 112-121. https://connect.springerpub.com/content/sgremdr/7/2/81

Mosquera, D. (2019). EMDR and Dissociation: The Progressive Approach. Retrieved from https://emdradvancedtrainings.com/product/emdr-and-dissociation-the-progressive-approach-dolores-mosquera-book-study-12-ces/

Springer. (2021). EMDR and dissociation: A progressive approach. Journal of EMDR Research and Practice, 8(1), 33-46. https://connect.springerpub.com/content/sgremdr/8/1/33

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