メンタリストDaiGoさんの科学的な情報をどう取り扱うべきか?

成功
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メンタリストDaiGoさんが好きでよく見ているのですが、
情報量が多すぎて混乱する時があります。
何か役に立つ知識はないでしょうか?

メンタリストDaiGoさんを
ご存知の方も多いかと思いますが、

今回は

DaiGoさんの発信してくれている
科学に基づいた情報をどのように
人生に役立てていけばいいか?

ということについてお話しします。

ちなみに私自身は、
大学・大学院で心理学を専攻しました。

大学院は諸事情により退学しましたが、
一般的な人よりかはある程度専門的な
知識もある方だと思います。

DaiGoさんの発信してくれている知識を
あなたの人生により役立てることが
できるようになりますので
ぜひ最後までお読みください。

 

目次

 

①鵜呑みにしない

DaiGoさん自身も繰り返し言われていますが、
人が行うことなので完全に正しいということはありません。

同じデータがあったとしても
解釈」の部分で違っている場合もあるでしょうし、
そもそも人間なので論文を誤読してしまう場合もあります。

 

例えば、

「宿題は無意味」

といった趣旨の動画が
多くの人に間違いを指摘されていたことが
過去に実際にありました。

そもそも基にしていた論文には

「宿題は無意味」

などとは一言も書かれていないのにも関わらず、
何かの思い込みや手違いで
完全に間違った情報を伝えてしまったということもあります。

 

決してこれはDaiGoさんを批判しているわけではなく、
どれだけ努力家で真面目な人だったとしても
ミスは必ずあるので仕方のないことだと思っています。

 

また、DaiGoさんご自身も公表されているように、
過去に学校で壮絶ないじめを受けた経験もあるとのことなので、
感情が邪魔をして客観的になれなかった可能性もあります。

人にはそれぞれ辛い過去や苦しみがあり、
それが邪魔をして正常な判断を下せなくなることは仕方のないことです。

宿題の件が過去の痛みによって
起きてしまった失敗なのかは分かりませんが、
もしそうだとしたら感情的にDaiGoさんを
強く責める必要はないと思っています。

 

また、
過去の痛みや苦しみは認知の歪み(偏見)
生みやすくしますので、
情報を受け取る場合は、

発信する人のバックグラウンドも考慮し、
いい意味で疑うことも大切だと言えます。

 

また、そもそも完全に正しい論文など存在しませんし、
完全に正しい解釈なども存在しません。

そのことを踏まえた上で、
科学的な信頼性というものを

絶対的な「真理」のように捉えて鵜呑みにするのではなく
参考程度に留めておくことをおすすめします。

 

 

②科学とは仮説を立てて検証するプロセス

そもそも科学とは基本的に
「仮説を立てて検証するプロセス」

であり、

仮説の確からしさ(信頼性)を追求するプロセスです。

 

仮説はどんな人でも立て放題です。

・こうすると成功する
・こうすると失敗する
・こうすれば人間関係は良くなる

このような仮説は
みんな一人一人が持っていると言えます。

そして、

その立てた仮説を肯定することが起きると
その仮説の確からしさ(信頼性)は高まります。
逆に立てた仮説を否定することが起きると
その仮説の確からしさ(信頼性)は低くなります。

 

例えば、

「運動をすると気分が良くなる」

という仮説を立てた場合、

 

《運動をする→気分が良くなった》

という体験が多ければ
その人の中で、

「運動をすると気分が良くなる」

とう仮説への確からしさ(信頼性)が高まるということです。

そして、
その仮説を「役立つ仮説」として
持ち続けることになります。

 

場合によっては他の人にも、

「運動はいいよー!」
「気分が良くなるよー!」

と勧めることもあるでしょう。

 

しかし、ここでの問題は、
あくまで運動が役立ったというのは
その人1人の体験であり、
他の人に役立つかどうか分かりません。

もしかしたら、
人によっては運動することで
気分が余計に悪くなることもありえます。

自分の中での「役立つ仮説」は
サンプル数が少ない(n=1)ので
その人の中では役に立ったとしても
多くの人に役立つかどうかはまた別の話となります。

 

 

③科学とは統計

そこで役立つのが統計です。

科学的な調査というものは
統計をベースにしたものが多いです。

例えば、

運動をすると10000人のうち9000人に
気分を良くする効果がある。だから気分が落ち込んだら運動することは
科学的にみて信頼できる答えだ。

このような結論が導き出されたとします。

 

しかし、ここでも問題があります。

9割の人にとって効果があったとしても、
もしあなたが効果のない残り1割に入っていたら、
運動をすることで効果がないどころか
逆に悪化する可能性もあります。

 

もしこのような時に、

・科学的調査に基づいているから絶対に正しい
・偉い有名な先生が言っているから間違いない
・海外の権威ある大学が言っているから正しい
・メンタリストDaiGoさんが言っているから間違いない
・間違っているのは自分

などと思ってしまうと、
場合によっては本当に危険な状態となってしまいます。

なので、いくら真面目に一生懸命Daigoさんが
情報を発信してくれていたとしても
その情報を絶対的な真理としてしまうことは危険です。

 

ただし、多くの人を調査して得られた結果なので、
科学的に信頼性の高いものを試す価値はあります。

100人のうち10人にしか効果がない薬よりも
100人のうち90人に効果がある薬を飲んだ方が
良くなる可能性は高いと言えますので、
非常に有益な情報であることには変わりありません。

しかし、科学的・統計的調査というのは
良くも悪くもこの程度のものなのです。

参考にすることは強くオススメしますが、
くれぐれもどんな人にでも必ず当てはまるような
絶対的な真理のようにしないようお気をつけください。

 

 

④科学的な知識をどう使うか?

ではどうすれば自分には
当てはまらないかもしれない
科学的な調査から得られた結果を
人生に活かすことができるでしょうか?

メンタリストDaiGoさんが日々発信してくれている情報を
どうすればあなたの人生に
役立てることができるでしょうか?

 

私自身の結論は、

1、やってみて
2、感じて
3、改善する

この3つのプロセスです。

繰り返しになりますが、
科学的に信頼性の高い結論は
あなたにも当てはまる可能性は高く、
情報の価値は間違いなく高いです。

 

なので、

まず何から試そうかと迷った時は
科学的に信頼性のあるものから
始めることをオススメします。

 

例えば、
メンタルの状態を良くしたいというのであれば、

1、運動をしてみる
2、自分がどう感じるかをじっくり観察する
3、効果があれば続け、なければ止める
 (細かい運動方法も自分なりに工夫し続ける)

このようなプロセスをおすすめします。

 

とにかく、いろんなものを

1、やってみて
2、感じて
3、改善する

ひたすらこれを繰り返し、
あなたの中で「役立つ仮説」を
作り上げることが大切です。

 

また、試してみることに関しては
科学的な根拠がないものでも問題ありません。

・尊敬する人の体験を参考にする
・直感的に良さそうなものを試してみる

などでも、
大きな副作用がなさそうであれば全く問題ありません。

 

科学万能主義に陥ってしまうと、

・科学的な調査に基づいていないことは絶対にしない
・科学的に信頼性がないことをやっている人をバカにする

といったことがありがちですが、
それは科学というものを
そもそも誤解している可能性があります。

 

 

私たちの一人一人の人生は統計ではありません。

科学・統計は非常に役立つ価値ある情報ですが、
自分の人生を素晴らしいものにするのが目的であれば、
自分自身に役立つかどうかが最も大切です。

たとえ、
100人のうち1人にしか効果がない
科学的信頼性の低い薬だったとしても、
あなたにとってそれが役立つのであれば
あなたにとってはそれが正解です。
100人のうち99人に効果のある
科学的信頼性の高い薬だったとしても、
あなたにとってそれが役立たないのであれば
あなたにとってそれは不正解です。

 

科学万能主義に陥るのでもなく、
個人の体験や経験だけになってしまうのでもなく、
両方ともの考え方を大切にしながら
より良い人生を創っていただければ幸いです。

 

 

まとめ

①鵜呑みにしない
②科学とは仮説を立てて検証するプロセス
③科学とは統計
④科学的な知識をどう使うか?
→1、やってみて
 2、感じて
 3、改善する

今回はこのようなことをお伝えさせていただきました。

メンタリストDaiGoさんの発信する情報を
あなたの人生に活かすのに
役立てていただけたら幸いです。

 

 

また、今回あらためて思うことは、

「絶対に確実な間違いのないもの = 真理

を私たちは無意識的にも意識的にも
求めて生きている生き物なのだということです。

 

しかし、
「科学とは仮説を立てて検証するプロセス」

なので、
真理に近づくことを目的にしていますが、
科学的手法では絶対に「真理」にまで到達しません

 

なぜなら「プロセス」だからです。

 

「真理」一歩手前の非常に
信頼性の高い仮説を作ることができたとしても、
真理そのものに辿り着くことはありません。

頂上を目指していたとしても
絶対に頂上に辿り着かない
山登りが「科学」なのです。

となると、
私たちが仮に「真理」を求めている存在だとすると、
科学はその欲望に100%答えることが
できないものということになります。

私たちが本当に行きたいのは山の頂上なのに
ずっと辿り着くことができないのと同じです。

 

なので、科学的手法は間違いなく価値がありますが、
だからと言って、私たちを究極的に満足させてくれるものではありません。

 

おそらく、

私たちが究極的に求める「真理」とは
記号(数字、言葉)では表現することのできず、
信仰によってでしか辿り着くことのできない
神秘的な世界なのだと解釈しております。

 

このようなことも踏まえた上で、
メンタリストDaiGoさんの情報を受け取ると
さらにたくさんの発見があるかもしれません。

参考にしていただけたら嬉しいです。

最後までお読みいただきありがとうございます。

 

【関連】神・創造主は存在するのか? その1

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